「100年インタビュー 尾上菊五郎 」
『100年インタビュー 尾上菊五郎』
なんて素敵なお話の数々\(^o^)/。
会場は昨年閉場した国立劇場の舞台上。
客席を背景に楽しいインタビュー。
「国立劇場には、50なん年間100公演以上出演して育ててもらいました。
名残惜しいけど、新しい劇場への期待感でいっぱいです。
子供や孫におんぶしてもらってでも杮落としに出たいです。」
(とん挫中の国立劇場再建、もう見に行けないかもと絶望しているのに、何ともポジテイブな言葉。私も頑張ろうと思えてしまう。)
「祖父の六代目菊五郎は、子供だったので偉いとは思わなくて、膝にのってお菓子をもらったり…。
鏡獅子のフィルムが残っているんですよね。何回も見て、上手だなぁ、かなわないなぁと演じておりました。」
(小津安二郎監督の六代目の春興鏡獅子が見られます。なるほど弥生はたおやかで、獅子は豪快で力強く、白黒の映像なのに見入ってしまいます。)
「子供時代、楽屋で小道具でチャンバラをやって壊して何度怒られたか。
今の子役さんたちは、こんな…(指でゲームの仕草)。わからないんで何も言えませんよ。」
「明治の匂いがプンプンする先輩が、火鉢にたむろして教えてくれるんですよ。」
(坂東八重之助さんのドキュメンタリー『影の名優』の一部。長火鉢を囲んで若い俳優たちにキセルでタバコを吸う仕草を嬉しそうに教えています。)
大河ドラマ『源義経』
「テレビは反応がないので嫌だったなぁ。舞台だったら、拍手や掛け声があるのに。
牛若丸の五条橋の宙乗りはワイヤーで股が痛いのなんのって。」
静御前、藤純子さんとの出会いが大きいのかも。お付き合いとかはどうしてたんですか?
「東名ができたばかりだったので京都までふっとばして会いに行きましたね。今と違ったから気にしなかったですね。
今だったらすぐ写真に撮られて大変です。文春とか。」
(さすがNHK、静御前の舞をたっぷり見られます。)
女性ファンが劇場に詰めかけて、娘道成寺で、ため息で劇場が揺らいだようだと聞いたことがあります。
(ハイ、私も初めて歌舞伎を見て女形の美しさにびっくりしました。)
「道成寺は父が何回も演じて、私は覚えちゃおう、覚えちゃおうと一生懸命見ていました。
殺気を覚える坊主がいると劇評に書かれちゃいました。」
(梅幸丈の道成寺、舞台に並ぶ聞いたか坊主の列で、身を乗り出して身じろぎもせずに見つめていた若い菊五郎サマを覚えています。)
当時の三之助、辰之助、新之助たちとの素敵な思い出。
「どう思われていたか、今となっちゃ聞けませんがね。」
(仲良しだった三之助、みんな長生きしてもらいたかったです。)
「七代目菊五郎の誕生。六代目を知る人もたくさんいて厳しい目を向けられた。紀尾井町(二代目松緑)中村屋(17代目勘三郎)のおじさんがかばってくれました。ありがたかったです。」
五代目菊五郎が作った人気世話物。
髪結い新三、初鰹を食べて湯呑みで箸を洗う。今はなかなか手に入らない象牙の箸を使うそうです。
チンと言う音が象牙でなくては出ないそうです。
大好きな役の弁天小僧、両方演じたお富与三郎。
「100年後の歌舞伎、知ったこっちゃねえやという気持ち。
その時代を背負っている主役級の人がやること。
私が口出すことじゃない。
今の若い人忠臣蔵をやってない。通しでやり遂げてほしい。」
「役者って艶がないとね、面白くないんだなあ。
100年後も歌舞伎は娯楽の王様だという自負を持ってほしい。」
「ここらで幕でございます。ちょんちょんちょん…。」
口で杵を打ちながら扇子を広げて顔を隠す。
何ともおちゃめで粋なエンデイングでした。
番組では菊五郎サマ、30代40代の舞台映像が沢山。
忙しくて舞台を見られない時だったのでとても嬉しい。
保存してある古い演劇界を引っ張り出して思い出を楽しんでいます。
仮名手本忠臣蔵、若い役者で実現すると良いなあ。
誰がどの役が良いかななんて勝手に考える。
忠臣蔵、若い観客はどう思うかな。
今年のお正月、箱根駅伝を見ながらふと思いました。
それぞれがそれぞれの思いを抱いてタスキを繋ぐ。
ゴールインしたとき,監督も一緒に満足と歓喜。
なんだか忠臣蔵みたいな感動。
- 2024.03.12 Tuesday
- 歌舞伎
- 17:33
- comments(0)
- -