「王城の護衛者」

司馬遼太郎『王城の護衛者』

 

 

松平容保、会津藩九世藩主、12歳で縁戚から養子に入る。

容姿が美しい少年で学問や軍学も見事に修めていたようだ。

 

会津には藩祖保科正之が遺した家訓がある。

「およそ正直をもって本とせよ」

「身に便利なことはよろしからず。窮屈なるを善しとする。」

「藩目的は、藩主の幸福のためではなく、藩の繁栄のためでもなく、ただ将軍家のため。」

 

家訓に縛られた会津藩は、尊攘浪士や薩長、土州藩過激派で荒れる京都守護職を火中の栗を拾うような心境で受けざるを得なかった。

禁裏内の公家も尊王攘夷で乱れており、孝明帝は、誠実な容保を愛し頼りにする。

当時28歳の容保は徳川宗家慶喜に翻弄され、一途に帝を守ろうとするのに、薩長に追い詰められて、賊軍、朝敵の汚名を浴びて会津藩もろとも滅びていく。

 

容保の晩年は殆ど人と交際せず終日ものも言わない日が多かった。

細い竹筒を離さず肌身につけていて、死後遺臣が開けてみると、孝明帝が送った宸翰(天皇の手紙)が入っていた。

「容保を信頼し、忠誠を喜び、無二の者と思う」
逆族の汚名を受けても何の抗弁もせず、ひそやかに余生を送った容保がなんとも痛ましい。

 

 

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両親は福島県出身でした。

昔、司馬遼太郎好きの義父に「会津の人は立派だ、福島の人はすばらしい。」と言われて不思議に思ったことがあります。

娘時代は、飾らなすぎる実家の両親を「かっこ悪いなぁ」と思っていました。

会津の哀しい歴史を知ってから、福島県の人は素敵だと思うようになりました。

 

 

 

 


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