NHK大河ドラマ「光る君へ」。女君がたくさん出てきて楽しい。
名前を訓読みにしているので堅苦しくない。
道長の姉、詮子は「あきこ」。道長の妻、倫子は「ともこ」。
若い頃は音読みで覚えたような気がする。
詮子は「せんし」、これから出てくる道長の娘、彰子は「しょうし」と読んだような気がする。
一条天皇の悲劇の中宮、定子は「ていし」だった。
三重県立斎宮歴史博物館の学芸員、榎村寛之氏は、訓読みだったと考えられるという。
明子を「あきらけいこ」、高子を「たかいこ」と読むこともある。
漢字で表現されている名前がどう呼ばれていたか、謎であります。
〈玉の?よ絶えねば絶えねながらへば忍ぶることの弱わりもぞする〉
平安末期の歌人 式子内親王はなんと読むんだろう。
何となく、すり込まれた音読みのほうが古風でロマンチックなんだけど。
土筆がたくさん出てきました。
鉢植えの春蘭、花がぎっしり咲きました。
貝母、ひょろんと咲き出しました。
]]>なんて素敵なお話の数々\(^o^)/。
会場は昨年閉場した国立劇場の舞台上。
客席を背景に楽しいインタビュー。
「国立劇場には、50なん年間100公演以上出演して育ててもらいました。
名残惜しいけど、新しい劇場への期待感でいっぱいです。
子供や孫におんぶしてもらってでも杮落としに出たいです。」
(とん挫中の国立劇場再建、もう見に行けないかもと絶望しているのに、何ともポジテイブな言葉。私も頑張ろうと思えてしまう。)
「祖父の六代目菊五郎は、子供だったので偉いとは思わなくて、膝にのってお菓子をもらったり…。
鏡獅子のフィルムが残っているんですよね。何回も見て、上手だなぁ、かなわないなぁと演じておりました。」
(小津安二郎監督の六代目の春興鏡獅子が見られます。なるほど弥生はたおやかで、獅子は豪快で力強く、白黒の映像なのに見入ってしまいます。)
「子供時代、楽屋で小道具でチャンバラをやって壊して何度怒られたか。
今の子役さんたちは、こんな…(指でゲームの仕草)。わからないんで何も言えませんよ。」
「明治の匂いがプンプンする先輩が、火鉢にたむろして教えてくれるんですよ。」
(坂東八重之助さんのドキュメンタリー『影の名優』の一部。長火鉢を囲んで若い俳優たちにキセルでタバコを吸う仕草を嬉しそうに教えています。)
大河ドラマ『源義経』
「テレビは反応がないので嫌だったなぁ。舞台だったら、拍手や掛け声があるのに。
牛若丸の五条橋の宙乗りはワイヤーで股が痛いのなんのって。」
静御前、藤純子さんとの出会いが大きいのかも。お付き合いとかはどうしてたんですか?
「東名ができたばかりだったので京都までふっとばして会いに行きましたね。今と違ったから気にしなかったですね。
今だったらすぐ写真に撮られて大変です。文春とか。」
(さすがNHK、静御前の舞をたっぷり見られます。)
女性ファンが劇場に詰めかけて、娘道成寺で、ため息で劇場が揺らいだようだと聞いたことがあります。
(ハイ、私も初めて歌舞伎を見て女形の美しさにびっくりしました。)
「道成寺は父が何回も演じて、私は覚えちゃおう、覚えちゃおうと一生懸命見ていました。
殺気を覚える坊主がいると劇評に書かれちゃいました。」
(梅幸丈の道成寺、舞台に並ぶ聞いたか坊主の列で、身を乗り出して身じろぎもせずに見つめていた若い菊五郎サマを覚えています。)
当時の三之助、辰之助、新之助たちとの素敵な思い出。
「どう思われていたか、今となっちゃ聞けませんがね。」
(仲良しだった三之助、みんな長生きしてもらいたかったです。)
「七代目菊五郎の誕生。六代目を知る人もたくさんいて厳しい目を向けられた。紀尾井町(二代目松緑)中村屋(17代目勘三郎)のおじさんがかばってくれました。ありがたかったです。」
五代目菊五郎が作った人気世話物。
髪結い新三、初鰹を食べて湯呑みで箸を洗う。今はなかなか手に入らない象牙の箸を使うそうです。
チンと言う音が象牙でなくては出ないそうです。
大好きな役の弁天小僧、両方演じたお富与三郎。
「100年後の歌舞伎、知ったこっちゃねえやという気持ち。
その時代を背負っている主役級の人がやること。
私が口出すことじゃない。
今の若い人忠臣蔵をやってない。通しでやり遂げてほしい。」
「役者って艶がないとね、面白くないんだなあ。
100年後も歌舞伎は娯楽の王様だという自負を持ってほしい。」
「ここらで幕でございます。ちょんちょんちょん…。」
口で杵を打ちながら扇子を広げて顔を隠す。
何ともおちゃめで粋なエンデイングでした。
番組では菊五郎サマ、30代40代の舞台映像が沢山。
忙しくて舞台を見られない時だったのでとても嬉しい。
保存してある古い演劇界を引っ張り出して思い出を楽しんでいます。
仮名手本忠臣蔵、若い役者で実現すると良いなあ。
誰がどの役が良いかななんて勝手に考える。
忠臣蔵、若い観客はどう思うかな。
今年のお正月、箱根駅伝を見ながらふと思いました。
それぞれがそれぞれの思いを抱いてタスキを繋ぐ。
ゴールインしたとき,監督も一緒に満足と歓喜。
なんだか忠臣蔵みたいな感動。
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休館中の国立劇場、あちこちの施設を利用して、なんとか公演を催すようです。
歌舞伎教室は、サンパール荒川、テイアラ江東、調布市グリーンホール。
歌舞伎公演は新国立劇場中劇場、豊島区立芸術文化劇場など。
稚魚の会は浅草公会堂らしい。
どんな劇場なんだろう。歌舞伎を楽しめる劇場だろうか。
今まで国立劇場に行けなかった地元の人も行きやすくなるかな。
国立劇場前庭の桜、今年も咲いたそうです。
庭師さん、大事に手入れをしてくださったのね。
でも、この桜を見るためだけに出かける気にはならないな。
毎年3月は菊之助くんが初役にチャレンジした月でした。
数年前の桜まつりから。
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歌舞伎座3月公演昼の部
菅原伝授手習鑑 寺子屋
菊之助くんが、なんと!松王丸を演じる。
どんな松王丸を演じるんだろうと、興味津々。
きちんと端正な気品のある松王丸です。
低い声で、結構大きさもある。
でもやっぱり(可愛いナ)と思ってしまう。
息子世代の役者を応援したい母性本能?
吉右衛門さまのときは黒綸子雪持松柄の成田屋系。
今回の銀鼠綸子雪持松は音羽屋系だそうです。
菊之助くんだからちょっとソフトになって良いかも知れない。
見得の切り方などもちょっと違うらしい。
小太郎は丑之助くん。
「お師匠さま、よろしくお願いいたします」と挨拶しただけで奥に引っ込んで、殺されちゃう。
彼の演技力としてはもったいない短い出番。
あの切ない声質の台詞をもっと聞きたかった。大切な役なんですけどね。
母親の千代と小太郎が寺子屋に入って、源蔵の妻の戸浪と挨拶を交わす【寺入り】があると良かったのにな。
丑之助くんただいま9歳。
小太郎も9歳の設定だけど数えと満の年齢もあるし、寺入りで、花道を歩いて出てくるのはちょっと大きいかも。
主君の若君の身代わりに我が子を差し出した松王丸。
「お役に立ったわい」と泣き笑いする場面はいつも胸がふるふるして涙が出ます。
千代は中村梅枝、義太夫狂言に古風な顔立ちが似合います。
源蔵は片岡愛之助、菊之助くんの楷書の演技の迫力に体当たりするような骨太の熱演。
戸浪は坂東新悟、控えめにさらさらと細やかに動くのが美しい。
浄瑠璃は竹本葵太夫。
今回も渋い声で語る義太夫が胸を打ちました。
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3、4月の歌舞伎カレンダーは花見の役者絵。
『役者見立渡船之図』
三代目尾上松助、七代目市川團十郎、初代岩井紫若
背景は隅田川の土手、今戸橋辺りだそうです。
3/2 『情報7Days ニュースキャスター』
司会は安住アナウンサーと三谷幸喜。
ゲストコメンテーターの三雲孝江さん、大谷翔平選手の結婚について。
「身の程知らないロス、世の中の人もみな、
これで野球に専念して幸せになってもらおうと、いま一生懸命思ってます。
世の中そうじゃないですか。
普通のおばさんも子供もがっかりしてるんじゃないですか?
(安住さんに向かって)年頭からすごい色んな人が結婚しちゃいましたからね😁(笑)」
はい、私もビックリ、そして何となく身の程知らずの不思議なロス感😞。
ここんとこ、びっくりする結婚話が続いてます。
美味しいものが食べた~い!
予約無しでご近所カフェに飛び込んだ。
鯵の挟み揚げ、鯵を挟んである揚げたての茄子がトロトロでアチチ!😋。
池袋の三笠会館で小さなお祝い。
車の点検、待っている間にほうじ茶。
湯呑みと茶托が可愛い。
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選考委員特別賞を受賞しました。
1988年、国立劇場第9期歌舞伎俳優研修修了。
容姿も声もしなやかできれい。
腰元や仲居が並んでいる中でも目立ちます。
「昨年は非常に心に残る年でございました。
そうなりましたのは、尾上菊之助若旦那様が『新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX』『極付印度伝マハーバーラタ戦記』という素晴らしいお芝居にて、私を大変大きなお役に異例の抜擢をしてくださったからでございます。
大きなプレッシャーの中、なんとか最後まで大役を務めることができましたのは、2本のお芝居で、出演者の皆さまや制作に携わった全ての方々の力があったことであり、多くのお客様や親族、お友達の温かいご後援のお陰様と存じ、重ねてお礼を申し上げます。
そして、入門してから今日まで文字どうり手取り足取り、芝居や踊りを教えてくださり、まるで家族のように大切にしてくださった亡き中村芝翫旦那様、今の福助若旦那様、現芝翫親方様、梅彌先生、大奥様、若奥様、坊ちゃん方、諸先輩方、同輩、後輩の方々、歌舞伎界のスタッフの皆さま、国立劇場養成所の皆さま、松竹株式会社の皆さま、心より感謝申し上げます。」
読み上げる原稿を持つ手が震えていました。
歌舞伎座の舞台の真ん中に立ったことがなかったので、初めのうちは、出の立派さが足りないと演出家に指摘されたそうです。
写真は昨年11月公演の筋書きから。
大きなお役なのに、大きな写真が無い。楽屋も大部屋なのかな。
たぶん、お給料もそんなに高くならないだろうな。
でも三階(大部屋)の歌舞伎俳優に勇気と希望を与えたと思う。
豪華な衣装を何回も着替えるためか、現芝翫がお弟子さんを付き人に配してくれたそうです。
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2月16日、再開場の見通しの立たない国立劇場問題について、伝統芸能の実演家たちが窮状を訴えた。
歌舞伎からは中村時蔵さん。
「国立劇場建て替え問題、2回にわたり、入札がうまくいかなかったのは由々しき問題。
歌舞伎の興行を一手に引き受けていた松竹と一線を画し、復活狂言で発掘され宝物になった作品もある。
通し狂言で普段見てないストーリーの理解が深まる。
松竹は違うところを目指しているような気がする。国立劇場が無くなった意味は大きい。
歌舞伎俳優の研修は、代々木オリンピックセンターの研修室を使っている。
研修発表会をするが、お金をとって興行はできない。
仮設劇場の設営を要望したら、5年6年も使えるような仮設劇場を作る予算はない。
土地を売って、違う場所に建てたらどうか、国立劇場発祥の三宅坂を動くつもりはない。
要するにお金の問題、財政が無いんですね。」
出席者、中村時蔵(歌舞伎)、吉田玉男(文楽)、豊英秋(雅楽)、萩岡英秋(三曲)、都一中(古曲)、杵屋勝四郎(長唄)、
尾上墨雪、吾妻徳穂、西川箕乃助、井上八千代(日本舞踊)
国立劇場の空白長期化を回避しようとする国や政治方面が動いている気配が伝わらないのが残念。
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時蔵さんの口調には憤慨が伺われます。その他の出席者も必死さが伝わります。
無形の文化を継承する大切さを訴えていました。
現代ではマイナーな文化だからこそ、日本人の誇りとして、守る意義があるような気がします。
国立劇場の前庭が荒れ果てているそうです。
これから桜の季節です。なんだかとっても寂しいです。
最寄り駅の半蔵門駅に、エレベーターやエスカレーターもできて、「便利になったね」と喜んでいたのにな。
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東京駅近くで会食。
早めに出て、東京ステーションギャラリーで、『みちのくのいとしい仏たち展』
丸の内北口改札前の目立たないギャラリー入口。
エレベーターで3階に上がる。
会場に入ってすぐにお目にかかれるのは岩手県天台寺の如来立像。
大きくてどっしり。(あったか〜い!)と直感。
衣のひだも、飾り物も螺髪の表現もなく、ただただどっしりと微笑みながら存在している。
有名な仏師の作でなく、今のように映像や写真で伝わるわけでなく、地域の人が本当に素朴な願いを込めて作り祀ってきた仏像たち。
きらびやかに金箔を貼るなんてあり得ない。
囲炉裏の煙で燻されて、真っ黒になっている小さな仏たち。
神仏混淆の時代に、神様と仏様とごっちゃになった仏像(神像?)
顔が長くて三頭身、イースター島のモアイ像にも似てる像。
大きな乳房を出しているお地蔵様。
乳が出るように願って作られたのか、乳児が亡くなってあの世でたくさん乳が飲めるように作られたのか。
なんだか胸が熱くなります。
怖いお不動様も閻魔様もなんとなく口元が微笑んでいました。
みちのくの厳しい生活に癒やしを求めたのかな。
1914年創建の辰野金吾設計の駅舎のレンガを展示室や回廊に利用している美術館。
重要文化財で、『創建当時の煉瓦壁に手を触れないでください』と注意書き。
触れるくらいの距離が嬉しい。
]]>茜唄 下巻、読み終わった。
言の葉、琵琶の音が静かに響く。
『あの方』から、平家の悲劇の物語を伝授される西仏。
『あの方』は、平知盛の姿を詳しく語る。
平家が滅んだ後、頼朝は自らの功績を書き残すように命じるだろう。
歴史は勝者が作り上げる。
平家は悪人、富貴に溺れた愚者して描かれる。
愚かであっても、この時代を懸命に生きぬいたことは事実。
『あの方』に対して、頼朝は「治承物語か、全て燃やしてやる」
「それは能わぬこと。この物語は人の口から口に、胸から胸にこの国を駆け回ります。平家物語として。」
そうだったのか!
平家物語は、平家の公達の愚かさも美しさも描いてあって、哀しさを誘う。
豊臣秀次、松平信康、松平忠長、周囲に酷い仕打ちをしたからと誅殺された。
はじめは良い人物だったという説もある。
誅殺した理由として後から罪を着せられたのではないかなと思ったことがある。
中臣鎌足が聖徳太子を完璧な人物、それの一族を滅ぼした蘇我氏を大悪人としたのは、乙巳の変(大化の改新)で蘇我入鹿を誅したことを正当化して、その後の藤原氏の権威を保つためだったという説もある。
平家物語はそのために作られ、語り継がれたのかも知れない。
勝者のはずの源氏が、その時代の勝者にはなれなかった。
西仏に語り伝えた『あの方』は、生き残って物語を託された知盛の妻だった。
時折文中に登場しては去るその謎の人物を、『男』とばかり思い込んで読んでいました。
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国立博物館 本館 中尊寺金色堂展、行ってきました。
建立900年?意外に新しい?
金色堂は奥州藤原氏の祖、藤原清衡によって1124年に建てられたそうです。
1187年、源義経は頼朝に追われて平泉に入りました。
義経を保護した藤原秀衡はその年に亡くなり、あとを継いだ泰衡は鎌倉の圧力に抵抗しきれず、1189年義経を攻撃して自刃に追い込みます。
その後頼朝に攻められて、泰衡は平泉に火をかけて逃亡しますが、家来に殺され、奥州藤原氏は4代で滅亡しました。
平和を願って作られた平泉の伽藍が、ほんの短期間で滅亡したのはとても残念です。
金色堂だけでも残ったのは幸いだったのか。
展示室に入ると、大きな8Kのスクリーン。三方の観音開きの大きな扉が開くと少しずつ光が漏れます。
扉が開ききると堂内の仏像が迫ってきます。
自分たちが仏に近づいて行く錯覚。すごい迫力です。
平泉では鞘堂内の金色堂のガラス越しに拝見する御仏たち。
お出ましいただいて小さなケース越しに拝見すると、意外に小さく愛らしい。
義経もこの御仏たちを拝んだのだろうかと思うと900年の時空が愛おしくなります。
音声ガイドには「源義経が語る、奥州藤原氏のものがたり」
「16歳で京から平泉に入り、6年間青春を過ごした…」
多感な年代を過ごしたんだわ。
落ち延びてきた義経も親鳥のように保護する。
藤原秀衡はなぜこれほど義経を愛したんだろう。
金色堂模型、縮尺5分の1
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釜竹でざるうどん コシが強くて食べごたえ。
レンガ造りの蔵を使った隈研吾氏設計のお店。
たわしやさん?カフェ?
お風呂屋さんもカフェ?
清水坂、別名暗闇坂。
近くにあるレトロなレンガ造りの建物は元都電の変電所。今は動物園のぬいぐるみの保管倉庫だって。
古い建物を大事にするっていいな。
上野高校近く。素敵なビル。
個人の所有かなぁ。
芸大内の赤レンガの建物。明治時代の建築らしい。
見学できる機会はないかな。
明治40年築の市田邸。
NPOたいとう歴史都市研究会と東京芸大で借受け活用しています。
何度かイベントに参加しました。
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中村梅枝さん、六代目中村時蔵を襲名するそうです。
楚々とした風情の女形だけど、どんな役でも見事に演じてしまう。
お姫さま役がお得意と思っていたら、2014年南座で、何とも仇っぽいお富さんを演じてびっくりしました。
最近は国立劇場の歌舞伎鑑賞教室の『紅葉狩』更科姫。
お姫さまが実は鬼女。
初役なのに、難しい二枚扇の踊りをさらさらと踊りました。
1971年、初代中村錦之助がそれまでの播磨屋から独立する形で名乗り始めた。
中村錦之助は映画スターで、その後は萬屋錦之介に。
三代目時蔵には5人の男子がいて、四代目時蔵、役者を辞めた兄弟、映画俳優になった錦之助、嘉葎雄。
美貌だった四代目時蔵は34歳で亡くなり、一族は寂しい境遇になりますが、息子や孫の世代が大活躍しています。
中村吉右衛門も中村勘三郎も三代目時蔵の兄弟。
名優が揃う一族です。
浅草寺境内にある被官稲荷神社、明治期に新門辰五郎が奉納したというお社。
芸能上達のご利益があるというので初代吉右衛門たち一族が奉納した石狐と石碑があります。
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早朝、外を掃除するほうきの音で目を覚ます。
敷布団と掛け布団をたたむ。
台所で歯を磨いて、小さな鏡でヒゲを整える。
口ひげの先はハサミで整え、あごはシェーバーで剃るらしい。なるほど。
2階建てのアパートらしい。入口の棚に、鍵と小銭など。
自販機で缶コーヒー?を買ってミニバンでお仕事。
「The Tokyo Toilet」と書かれたつなぎを着て、公共トイレのお掃除です。
渋谷区に有名クリエーターがデザインした17のトイレのメンテナンスとお掃除をする団体のようです。
テキパキと、丁寧に、便器の裏側は手鏡でチェック。
仕事が終わると公園のベンチでサンドイッチの昼食。
小さな紅葉の芽が出ているのを見つけて、愛おしそうに採集していく。
新聞紙で小さな箱を折ってポケットに入れてある。(英字新聞だった!)
木漏れ日をフィルムカメラで撮って写真店で現像。
カメラに新しいフィルムを入れた時の巻き取る音が心地よい。
ブリキのバケツに入れた水で新聞紙をちぎって濡らし、畳に撒いてほうきで掃く。
浅草地下駅の居酒屋でハイボールがおきまり。
スカイツリーをみながら自転車で帰宅。
同じような毎日、同じようなシーンが繰り返される。
でも、時々ミステリアスな事件。
「おじさん」と家出してきた少女は姪なのかな。
運転手付きの高級車で迎えに来た女性(麻生祐未)。
「あなた、これ、好きだったでしょう」小さな紙袋を渡す。
「お父さんに顔を見せに行って。もう分からないかも知れないけど」
そして、ハグして別れる。誰?妹?元妻?お金持ち?
ずっと謎のまま気になってます。
淡々とルーティンをこなしながら幸せそうな毎日。
何事も起きないって幸せなんだぁと実感しました。
本編の前に放映される映画の予告編は過激なのばかり。
静かな映画は良いものです。
能登半島地震で無惨な光景はたくさん見てしまいましたからね。
お蕎麦が食べたくなって、三種盛り。天ぷらと大根おろしと山菜のトッピングを注文。
]]>生活空間としてだけでなく、日本の精神性にも強く影響を与える和室の大切さを訴える。
畳表の国内生産量は2023年は154万枚で、1996年の5.7%まで減少している。」
和室、好きなんですけどね。
いつもいる部屋はフローリング、ダイニングテーブル。
くつろぐときは古いソファー。
我が家に二間ある和室は、タンス置き場と寝室。
でも畳に布団を敷いて寝るのは快感です。
ちょうどよい畳の硬さ、布団をたたんだ後の何も無い空間、古畳でもほんのり残る藁の匂い。
近所に咲き始めた花を摘んで活けてみた。
和水仙
尾張侘助
ツルニチニチソウ
]]>新春浅草歌舞伎、第一部
お年玉のご挨拶は坂東巳之助さん。
時間がないから手短に、と言いながら「携帯の電源オフに、録画録音しないで。舞台から客席がよく見えます。面白いときは存分に笑ってください。悲しい場面は泣いてください。」とか何とか言うべきことはたっぷり。
本朝廿四孝 十種香
幕が開く前からかすかに客席にも香が漂う。
許嫁の命日に香を手向ける米吉の八重垣姫、赤姫の振り袖が可憐。
舞台の真ん中の座敷で振り袖や扇子を使って情熱を演じる。
腰元濡衣の坂東新悟、長身に黒い着物が映えてすてき。
新悟ちゃん、上手になったなあ。
この後に、実は生きていた許嫁の武田勝頼を助けようと八重垣姫が家宝の御兜を手にして霊力で諏訪湖を駆け抜けていく場面(奥庭狐火)があるけど、今回は無し。ちょっと残念。
与話情浮名横櫛、源氏店
隼人くんの与三郎、とてもきれいな与三郎です。
玄関の木戸の外で石ころを蹴って待っている様子も可愛い。
別れた恋人のお富さんに「ご新造さんへ、おかみさんへ…」と迫る場面に「待ってました!」の声がかかる。
歌舞伎の古典、決まった場面の決まったセリフに どうしてこんなにワクワクするんだろう。
仁左衛門さん指導の与三郎らしい。
菊五郎サマの粋な与三郎とちょっと違うほんのり優しい与三郎の啖呵でした。
常磐津舞踊 どんつく
浅草で太神楽の太夫(歌昇)、荷物持ちのどんつく(巳之助)、太鼓打ちの正吉(種之助)が踊っていると見物人たちも大喜び。
大工の隼人、子守の莟玉、若旦那の橋之助、芸者の米吉、松也の田舎侍、新悟の白酒売。
それぞれが踊りを披露する華やかで楽しい舞台でした。
太神楽の太夫は籠鞠芸を披露しなくてはなりません。
3個の小さな籠が付いた道具に小さな鞠を放り投げて入れる曲芸です。
歌昇さん、だいぶ練習したそうですが2回ほど失敗して苦笑い。
菊五郎サマ(2005年?)や12代目團十郎(2010年?)のどんつくの太夫を観たことがあります。
菊五郎サマ成功👏、團十郎さん一回失敗😁でした。
失敗するところを見るのも楽しいのです。
浅草は本日も賑やかでした。
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